虹の木

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京都で起きた『嘱託殺人事件』から考える②過去の安楽死事件を調べてみました

こんにちは、たんぽぽです。

 

今日も『京都の嘱託殺人事件』に関連して、書かせていただきたいと思います。

 

 

日本にあった過去の安楽死事件について、私自身も詳細がわからなかったので、この機会に自分なりに調べてみました。

それを載せさせて頂きます。

 

 

 

◇初めに:裁判の『判例』ついて 

 

日本では過去に安楽死事件と呼ばれる事件があった。

 

その裁判の時には『判例』というものが、その被告の罪の決める判断基準となった。

 

まずは『判例』について整理したい。

 

判例は、「先例」としての重み付けがなされ、それ以後の判決に拘束力を持ち、影響を及ぼす。その根拠としては、「法の公平性維持」が挙げられる。つまり、「同類・同系統の訴訟・事件に対して、裁判官によって判決が異なることは不公平である」という考え方である。なお、同類、同系統の事例に対して同様の判決が繰り返されて積み重なっていくと、その後の裁判に対する拘束力が一層強まり、不文法の一種である「判例法」を形成することになる。

(フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia):『判例』より引用)

 

○「判例」とは、最も狭義には、最高裁判所が裁判の理由の中で示した法律的判断のうち、先例として事実上の拘束力を持つものを言います。他方、最も広義には、すべての裁判所の過去の裁判例のことを指します。

国立国会図書館リサーチ・ナビ『判例の調べ方』より

https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/hanrei.php#1-1

 

 

自分の頭の中を整理するために、上記の2つのHPから引用させていただいた。

 

つまり、判例とは、以前に同じような事件の裁判があったときに判決で、その罪の重さを決めるための判断基準とした内容やその判決内容のことで、法的拘束力と同等のものである。

過去に同じような裁判があり、判例があると、その判例にも照らし合わせて、裁判を進めて罪の重さを決めていくことがある。

 

 

この判例という存在を踏まえた上で、下記の3点にについて書かせていただきたいと思います。

 

1.過去に起きた安楽死事件

 

2.安楽死事件の裁判

 

3.まとめ

 

私も、過去に安楽死事件があったことは知っていましたが、解らないことばかりでしたので、改めて調べてみました。

なお、私は法律の専門家ではないので、今回も一般人としての立場で書かせていただきます。

 

1. 過去に起きた日本での安楽死事件

 

 ①東海大学安楽死事件

(フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)

 

患者は多発性骨髄腫のため、東海大学医学部付属病院に入院していた。病名は家族にのみ告知されていた。1991年(平成3年)4月13日、昏睡状態が続く患者について、妻と長男は治療の中止を強く希望し、助手は、患者の嫌がっているというフォーリーカテーテルや点滴を外し痰引などの治療を中止した。長男はなおも「早く楽にしてやってほしい」と強く主張。医師はこれに応じて、鎮痛剤、抗精神病薬を通常の二倍の投与量で注射した。

 

しかしなおも苦しそうな状態は止まらず、長男から「今日中に家につれて帰りたい」と求められた。そこで助手は殺意を持って、塩酸ベラパミル製剤を通常の二倍量を注射したが、脈拍などに変化がなかったため、続いて塩化カリウム製剤20mlを注射した。患者は同日、急性高カリウム血症に基づく心停止により死亡させられた。 翌5月にこのことが発覚し、助手は塩化カリウムを注射したことを問われ、殺人罪により起訴された。なお、患者自身の死を望む意思表示がなかったことから、罪名は刑法第202条の嘱託殺人罪ではなく、第199条の殺人罪とされた。

 

 

 ②京都京北病院安楽死事件

(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)https://president.jp/articles/-/24609

 

1996年年4月27日。国保京北病院(現・京都市立京北病院)の院長(78 ※年齢は取材時点)が、当時48歳の末期癌患者に対し、筋弛緩剤を点滴の中に投与して死亡させた。1カ月後、院内の内部告発から警察が捜査に乗り出し、6月に事件が表面化して報道が過熱。その後、殺人容疑で書類送検されるが、翌年の12月12日、嫌疑不十分で不起訴処分が決まった。

  

(※事件当日の本人の様子は下記の状態だったようです。)

 

午前中の段階では、「呼名にてわずかに返答」「おはようと言う」などと記されているが、午後1時以降は、「呼名反応なし」と、容態の変化が窺われる。1時半を過ぎた頃から、「開眼しているも捷毛反射なし」「四肢冷感強い」「HR(著者注:心拍数)130代」で、「シリンジ(著者注:モルヒネ)3・5」と、いよいよ死に向かう人間の様子がメモに記されている。

 

(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)

https://president.jp/articles/-/24609

 

③川崎協同病院安楽死事件

(フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『川崎協同病院安楽死事件』より引用)

 

神奈川県川崎市川崎区の川崎協同病院で、医師が患者の気管内チューブを抜管後に筋弛緩剤を投与して死亡させたとして殺人罪に問われた事件である。尊厳死安楽死の問題、延命治療や終末期医療とインフォームド・コンセントのあり方が問われた事件である。

 

患者が喘息発作を起こしていったん心肺停止状態になり、同病院に搬送され昏睡状態のまま入院となった。11月16日に担当医師が気道を確保していたチューブを外した後、患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため、准看護師に指示して筋弛緩剤を注射し、患者はまもなく死亡した[2。2002年4月、同病院が経緯を公表し、同年12月、医師は殺人容疑で逮捕・起訴され、2009年に有罪判決が確定した。

 

 

なお、一番古い安楽死事件は下記の事件のようである。

 

④名古屋安楽死事件

ウィキペディアWikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)

 

被告人が重病の父の苦痛を見かね、母が父に飲ませる牛乳に毒薬を混入して安楽死させた事案であるが、名古屋高等裁判所昭和37年12月22日判決で、被告人に嘱託殺人罪の成立を認めた。

 

 

 2.安楽死事件の裁判

 

①『名古屋安楽死事件』

 

名古屋高等裁判所昭和37年12月22日判決が安楽死の要件として、下記のようにあげて、殺人罪かどうかの判断とした。

ウィキペディアWikipedia):『東海大学安楽死事件』より引用)

 

○不治の病に冒され死期が目前に迫っていること

○苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと

○専ら死苦の緩和の目的でなされたこと

○病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること

○原則として医師の手によるべきだが医師により得ないと首肯するに足る特別の事情の認められること

○方法が倫理的にも妥当なものであること

 

の6つの条件を示した。

この基準は後の判決でも援用されることが多い。

なお判決は5と6の要件を満たさない(違法性は阻却されない)として、被告人に嘱託殺人罪の成立を認めた。

 

なお、事案は日ごろ安楽死について意思表明していなかった患者が、病床の苦痛によって「殺してくれ」「早く楽にしてくれ」と叫んでいたというものであり、平時死を望んでいた事情がないからといって真摯な意思表明でないとはいえないとしている。ゆえに、4の要件が意思表明を確認できない場合(危篤時など)にどう位置づけるべきかは、以後の裁判例に委ねられた。

 

 

となっている。

 

ウィキペディアでも書いているが、この裁判での判決の基準が、後の安楽死事件の裁判での判例となり、援用されることとなっていく。

 

 

東海大学安楽死事件

(フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)

 

横浜地方裁判所は平成7年3月28日判決を下し、被告人を有罪(懲役2年執行猶予2年)とした(確定)。

 

判決では、医師による積極的安楽死として許容されるための4要件として、

 

○患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること

○患者は死が避けられず、その死期が迫っていること

○患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと

○生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

 

を挙げた。

 

また、名古屋高裁に「もっぱら病者の死苦の緩和を目的でなされること」、「その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうること」という要件は、末期医療において医師により安楽死が行われる限りでは、もっぱら苦痛除去の目的で、外形的にも治療行為の形態で行われ、方法も目的に相応しい方法が選択されるのが当然であろうから、特に要件として必要はないとした。

 

そして、本件では患者が昏睡状態で意思表示ができず、痛みも感じていなかったことから1、4を満たさないとした。ただし、患者の家族の強い要望があったことなどから、情状酌量により刑の減軽がなされ、執行猶予が付された。

 

論点・問題点

本判決は名古屋安楽死事件の6要件よりもより緩やかに違法性阻却事由を構成し、上記の4要件では患者の自己決定権を重視したことを特徴とする。そして、緊急避難の法理と患者の自己決定権をベースとして、積極的安楽死について限定的ながらも認めたことに意義がある。刑法の学説も積極的安楽死を認める説が有力であるが、生命の処分を認めるべきではないとする説もある。

医師による安楽死であれば違法性が阻却されるとする論拠は不明確、との批判もある。

 

 

となっている。

 

 

 ③川崎協同病院安楽死事件での最高裁判決最高裁判決

(フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『川崎協同病院安楽死事件』より引用)

 

最高裁判決は、末期医療における治療中止・安楽死尊厳死をめぐって、初めての最高裁の判断が示されるケースとして注目された。

 

最高裁の判決は、延命治療の中止が許される要件についての一般的な枠組みを示したものではないが、地裁・高裁の判決を受けて最高裁が述べたことは、延命治療の中止を考えるにあたり法律上何が重視されるかについて端的に語っており、きわめて貴重な判例となっている。(下線は私が引きました)

 

終末期医療において差し控え・打ち切りの対象となる延命治療の内容は、人工呼吸器、胃ろうなどによる水分栄養補給、化学療法など数多くあるが、医師の行った行為で殺人にあたると判断されたのは、気管内チューブの抜管とミオブロックの投与であり、この両者が合わさり殺人行為を構成すると判断された。

 

最高裁判決はその判断を示すにあたり、患者が11月2日に病院に運び込まれてから16日に至るまでの事実経過を要約して述べた上で、「被害者(患者)が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていない。また、被害者自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかでない」ことを確認した。その上で、法律上許される治療中止にあたるという被告人の弁護人の主張を排斥し、法律上許容される治療中止にはあたらないと判断した。

 

最高裁はその理由について、2つの点を述べた。

 

○被害者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。

 

○被害者は本件時、こん睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、被害者の回復を諦めた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況からも認められるとおり被害者の病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく、上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づくということもできない。

 

この2つの指摘は、法律上許容される治療中止を判断するにあたり、最高裁は何が必要であると考えているかを示している。

○十分な治療と検査が行われ、患者の回復可能性や余命について的確な判断をくだせる状況にあること。

○家族に適切な情報が伝えられた上での、患者の推定的意思に基づくものであること。

 

最高裁判決は、末期医療における治療中止・安楽死尊厳死をめぐって、初めての最高裁の判断が示されるケースとして注目された。(下線は私が引きました)

 

 

 

 ④京都京北病院安楽死事件は、嫌疑不十分で不起訴となっている。

 

1991年4月に起きてから1カ月後、院内の内部告発から警察が捜査に乗り出し、6月に事件が表面化して報道が過熱。その後、殺人容疑で書類送検されるが、翌年の12月12日、嫌疑不十分で不起訴処分が決まった。

検察が不起訴とした背景には、筋弛緩剤が実際に死に繋がったのか否かを調べた、京都大学の鑑定書がある。鑑定では、投与した致死薬が、患者の息の根を止めたのかは断定できなかった。

(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)

https://president.jp/articles/-/24609

 

 

 

 

 3.まとめ(個人的主観です)

 

裁判でも『安楽死』について、踏み込んで考えてきた歴史があるのだと感じた。

 

安楽死は日本では合法されていないが、こうして裁判の都度、『殺人罪』か『『安楽死として許容できる範囲』かどうか、と、繰り返して考えてきたのだろうと感じた。

 

過去の安楽死事件裁判での『殺人』か『安楽死』かという争点が、判例というかたちで今でもいきている。

 

いずれ刻が満ちて、日本で安楽死の合法化の議論が始まるときに、この判例がその議論の土台になるのかもしれない・・・と、私は思った。

 

そして、京都での嘱託殺人は、過去の事件の背景や裁判での争点から考えても、やはり安楽死事件として扱ってはいけないと思った。

 

私もSNSを以前から利用しているが、相手の事が全て解るわけがないし、ましてや面識のない医師が、そのASL患者個人の病状について、SNSだけで患者の病状の全てを把握できるはずがない。

過去のそれぞれの事件の裁判であげられた、(積極的)安楽死の要件には当てはまらないし、それ以前に医師が自ら診察も検査もしていない。

だからやはり、『嘱託殺人』なのだと、改めて思った。

 

『この(京都の嘱託殺人』事件を、過去の安楽死事件と同様に考えてはいけない)』という声が、数多く上がっていた。

こうして、過去の安楽死事件を自分なりに調べてみて、その言葉の意味がわかった。

 

そう思いました。

 

 

 

今回は、自分自身も知らないことを調べたため、ほぼ引用になりました。

改めて引用させていたいたHPを記載させていただきます。

 

○フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『判例』より

国立国会図書館リサーチ・ナビ『判例の調べ方』より

https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/hanrei.php#1-1

○フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『東海大学安楽死事件』より

○PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より

https://president.jp/articles/-/24609

○フリー百科事典:ウィキペディアWikipedia)『川崎協同病院安楽死事件』より