京都で起きた『嘱託殺人事件』から考える②過去の安楽死事件を調べてみました
こんにちは、たんぽぽです。
今日も『京都の嘱託殺人事件』に関連して、書かせていただきたいと思います。
日本にあった過去の安楽死事件について、私自身も詳細がわからなかったので、この機会に自分なりに調べてみました。
それを載せさせて頂きます。
◇初めに:裁判の『判例』ついて
日本では過去に安楽死事件と呼ばれる事件があった。
その裁判の時には『判例』というものが、その被告の罪の決める判断基準となった。
まずは『判例』について整理したい。
○判例は、「先例」としての重み付けがなされ、それ以後の判決に拘束力を持ち、影響を及ぼす。その根拠としては、「法の公平性維持」が挙げられる。つまり、「同類・同系統の訴訟・事件に対して、裁判官によって判決が異なることは不公平である」という考え方である。なお、同類、同系統の事例に対して同様の判決が繰り返されて積み重なっていくと、その後の裁判に対する拘束力が一層強まり、不文法の一種である「判例法」を形成することになる。
(フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia):『判例』より引用)
○「判例」とは、最も狭義には、最高裁判所が裁判の理由の中で示した法律的判断のうち、先例として事実上の拘束力を持つものを言います。他方、最も広義には、すべての裁判所の過去の裁判例のことを指します。
(https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/hanrei.php#1-1)
自分の頭の中を整理するために、上記の2つのHPから引用させていただいた。
つまり、判例とは、以前に同じような事件の裁判があったときに判決で、その罪の重さを決めるための判断基準とした内容やその判決内容のことで、法的拘束力と同等のものである。
過去に同じような裁判があり、判例があると、その判例にも照らし合わせて、裁判を進めて罪の重さを決めていくことがある。
この判例という存在を踏まえた上で、下記の3点にについて書かせていただきたいと思います。
1.過去に起きた安楽死事件
2.安楽死事件の裁判
3.まとめ
私も、過去に安楽死事件があったことは知っていましたが、解らないことばかりでしたので、改めて調べてみました。
なお、私は法律の専門家ではないので、今回も一般人としての立場で書かせていただきます。
1. 過去に起きた日本での安楽死事件
(フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)
患者は多発性骨髄腫のため、東海大学医学部付属病院に入院していた。病名は家族にのみ告知されていた。1991年(平成3年)4月13日、昏睡状態が続く患者について、妻と長男は治療の中止を強く希望し、助手は、患者の嫌がっているというフォーリーカテーテルや点滴を外し痰引などの治療を中止した。長男はなおも「早く楽にしてやってほしい」と強く主張。医師はこれに応じて、鎮痛剤、抗精神病薬を通常の二倍の投与量で注射した。
しかしなおも苦しそうな状態は止まらず、長男から「今日中に家につれて帰りたい」と求められた。そこで助手は殺意を持って、塩酸ベラパミル製剤を通常の二倍量を注射したが、脈拍などに変化がなかったため、続いて塩化カリウム製剤20mlを注射した。患者は同日、急性高カリウム血症に基づく心停止により死亡させられた。 翌5月にこのことが発覚し、助手は塩化カリウムを注射したことを問われ、殺人罪により起訴された。なお、患者自身の死を望む意思表示がなかったことから、罪名は刑法第202条の嘱託殺人罪ではなく、第199条の殺人罪とされた。
②京都京北病院安楽死事件
(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)https://president.jp/articles/-/24609
1996年年4月27日。国保京北病院(現・京都市立京北病院)の院長(78 ※年齢は取材時点)が、当時48歳の末期癌患者に対し、筋弛緩剤を点滴の中に投与して死亡させた。1カ月後、院内の内部告発から警察が捜査に乗り出し、6月に事件が表面化して報道が過熱。その後、殺人容疑で書類送検されるが、翌年の12月12日、嫌疑不十分で不起訴処分が決まった。
(※事件当日の本人の様子は下記の状態だったようです。)
午前中の段階では、「呼名にてわずかに返答」「おはようと言う」などと記されているが、午後1時以降は、「呼名反応なし」と、容態の変化が窺われる。1時半を過ぎた頃から、「開眼しているも捷毛反射なし」「四肢冷感強い」「HR(著者注:心拍数)130代」で、「シリンジ(著者注:モルヒネ)3・5」と、いよいよ死に向かう人間の様子がメモに記されている。
(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)
https://president.jp/articles/-/24609
③川崎協同病院安楽死事件
(フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『川崎協同病院安楽死事件』より引用)
神奈川県川崎市川崎区の川崎協同病院で、医師が患者の気管内チューブを抜管後に筋弛緩剤を投与して死亡させたとして殺人罪に問われた事件である。尊厳死・安楽死の問題、延命治療や終末期医療とインフォームド・コンセントのあり方が問われた事件である。
患者が喘息発作を起こしていったん心肺停止状態になり、同病院に搬送され昏睡状態のまま入院となった。11月16日に担当医師が気道を確保していたチューブを外した後、患者がのけぞり苦しそうな呼吸を始めたため、准看護師に指示して筋弛緩剤を注射し、患者はまもなく死亡した[2。2002年4月、同病院が経緯を公表し、同年12月、医師は殺人容疑で逮捕・起訴され、2009年に有罪判決が確定した。
なお、一番古い安楽死事件は下記の事件のようである。
④名古屋安楽死事件
(ウィキペディア(Wikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)
被告人が重病の父の苦痛を見かね、母が父に飲ませる牛乳に毒薬を混入して安楽死させた事案であるが、名古屋高等裁判所昭和37年12月22日判決で、被告人に嘱託殺人罪の成立を認めた。
2.安楽死事件の裁判
①『名古屋安楽死事件』
名古屋高等裁判所昭和37年12月22日判決が安楽死の要件として、下記のようにあげて、殺人罪かどうかの判断とした。
(ウィキペディア(Wikipedia):『東海大学安楽死事件』より引用)
○不治の病に冒され死期が目前に迫っていること
○苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと
○専ら死苦の緩和の目的でなされたこと
○病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾のあること
○原則として医師の手によるべきだが医師により得ないと首肯するに足る特別の事情の認められること
○方法が倫理的にも妥当なものであること
の6つの条件を示した。
この基準は後の判決でも援用されることが多い。
なお判決は5と6の要件を満たさない(違法性は阻却されない)として、被告人に嘱託殺人罪の成立を認めた。
なお、事案は日ごろ安楽死について意思表明していなかった患者が、病床の苦痛によって「殺してくれ」「早く楽にしてくれ」と叫んでいたというものであり、平時死を望んでいた事情がないからといって真摯な意思表明でないとはいえないとしている。ゆえに、4の要件が意思表明を確認できない場合(危篤時など)にどう位置づけるべきかは、以後の裁判例に委ねられた。
となっている。
ウィキペディアでも書いているが、この裁判での判決の基準が、後の安楽死事件の裁判での判例となり、援用されることとなっていく。
(フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『東海大学安楽死事件』より引用)
横浜地方裁判所は平成7年3月28日判決を下し、被告人を有罪(懲役2年執行猶予2年)とした(確定)。
判決では、医師による積極的安楽死として許容されるための4要件として、
○患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
○患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
○患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
○生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
を挙げた。
また、名古屋高裁に「もっぱら病者の死苦の緩和を目的でなされること」、「その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうること」という要件は、末期医療において医師により安楽死が行われる限りでは、もっぱら苦痛除去の目的で、外形的にも治療行為の形態で行われ、方法も目的に相応しい方法が選択されるのが当然であろうから、特に要件として必要はないとした。
そして、本件では患者が昏睡状態で意思表示ができず、痛みも感じていなかったことから1、4を満たさないとした。ただし、患者の家族の強い要望があったことなどから、情状酌量により刑の減軽がなされ、執行猶予が付された。
論点・問題点
本判決は名古屋安楽死事件の6要件よりもより緩やかに違法性阻却事由を構成し、上記の4要件では患者の自己決定権を重視したことを特徴とする。そして、緊急避難の法理と患者の自己決定権をベースとして、積極的安楽死について限定的ながらも認めたことに意義がある。刑法の学説も積極的安楽死を認める説が有力であるが、生命の処分を認めるべきではないとする説もある。
医師による安楽死であれば違法性が阻却されるとする論拠は不明確、との批判もある。
となっている。
(フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『川崎協同病院安楽死事件』より引用)
最高裁判決は、末期医療における治療中止・安楽死・尊厳死をめぐって、初めての最高裁の判断が示されるケースとして注目された。
最高裁の判決は、延命治療の中止が許される要件についての一般的な枠組みを示したものではないが、地裁・高裁の判決を受けて最高裁が述べたことは、延命治療の中止を考えるにあたり法律上何が重視されるかについて端的に語っており、きわめて貴重な判例となっている。(下線は私が引きました)
終末期医療において差し控え・打ち切りの対象となる延命治療の内容は、人工呼吸器、胃ろうなどによる水分栄養補給、化学療法など数多くあるが、医師の行った行為で殺人にあたると判断されたのは、気管内チューブの抜管とミオブロックの投与であり、この両者が合わさり殺人行為を構成すると判断された。
最高裁判決はその判断を示すにあたり、患者が11月2日に病院に運び込まれてから16日に至るまでの事実経過を要約して述べた上で、「被害者(患者)が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていない。また、被害者自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかでない」ことを確認した。その上で、法律上許される治療中止にあたるという被告人の弁護人の主張を排斥し、法律上許容される治療中止にはあたらないと判断した。
最高裁はその理由について、2つの点を述べた。
○被害者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。
○被害者は本件時、こん睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、被害者の回復を諦めた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況からも認められるとおり被害者の病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく、上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づくということもできない。
この2つの指摘は、法律上許容される治療中止を判断するにあたり、最高裁は何が必要であると考えているかを示している。
○十分な治療と検査が行われ、患者の回復可能性や余命について的確な判断をくだせる状況にあること。
○家族に適切な情報が伝えられた上での、患者の推定的意思に基づくものであること。
最高裁判決は、末期医療における治療中止・安楽死・尊厳死をめぐって、初めての最高裁の判断が示されるケースとして注目された。(下線は私が引きました)
④京都京北病院安楽死事件は、嫌疑不十分で不起訴となっている。
1991年4月に起きてから1カ月後、院内の内部告発から警察が捜査に乗り出し、6月に事件が表面化して報道が過熱。その後、殺人容疑で書類送検されるが、翌年の12月12日、嫌疑不十分で不起訴処分が決まった。
検察が不起訴とした背景には、筋弛緩剤が実際に死に繋がったのか否かを調べた、京都大学の鑑定書がある。鑑定では、投与した致死薬が、患者の息の根を止めたのかは断定できなかった。
(PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より引用)
https://president.jp/articles/-/24609
3.まとめ(個人的主観です)
裁判でも『安楽死』について、踏み込んで考えてきた歴史があるのだと感じた。
安楽死は日本では合法されていないが、こうして裁判の都度、『殺人罪』か『『安楽死として許容できる範囲』かどうか、と、繰り返して考えてきたのだろうと感じた。
過去の安楽死事件裁判での『殺人』か『安楽死』かという争点が、判例というかたちで今でもいきている。
いずれ刻が満ちて、日本で安楽死の合法化の議論が始まるときに、この判例がその議論の土台になるのかもしれない・・・と、私は思った。
そして、京都での嘱託殺人は、過去の事件の背景や裁判での争点から考えても、やはり安楽死事件として扱ってはいけないと思った。
私もSNSを以前から利用しているが、相手の事が全て解るわけがないし、ましてや面識のない医師が、そのASL患者個人の病状について、SNSだけで患者の病状の全てを把握できるはずがない。
過去のそれぞれの事件の裁判であげられた、(積極的)安楽死の要件には当てはまらないし、それ以前に医師が自ら診察も検査もしていない。
だからやはり、『嘱託殺人』なのだと、改めて思った。
『この(京都の嘱託殺人』事件を、過去の安楽死事件と同様に考えてはいけない)』という声が、数多く上がっていた。
こうして、過去の安楽死事件を自分なりに調べてみて、その言葉の意味がわかった。
そう思いました。
今回は、自分自身も知らないことを調べたため、ほぼ引用になりました。
改めて引用させていたいたHPを記載させていただきます。
○フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『判例』より
(https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/hanrei.php#1-1)
○フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)『東海大学安楽死事件』より
○PRESIDENT Online『20年来の友人を安楽死させた名医の告白:穏やかに逝かせるための苦渋の決断』より
京都で起きた『嘱託殺人事件』から考える~①安楽死とは何かを改めて考える~
こんにちは、たんぽぽです。
連休中に衝撃な事件のニュースが飛び込んできました。
その事件の報道をみて、ネット上での発言などをみて、私が思ったことを、何回かに分けて、書いていきたいと考えています。
事件のニュースは一時的に注目を集めます。この事件ももしかしたら、世間はすぐに忘れ去られてしまうかもしれません。ですが、今回の事件は色々なことを考えさせられましたので、世間がこの事件に対して、トーンダウンしたとしても、私は書いていきたいと思います。
《『安楽死とは何か』を改めて考える》
先日、難病ASLの女性がSNS上で知り合った医師に安楽死を依頼して、本人宅で医師が女性を殺したという事件を知り、詳細を知るに至って、私はこれは『殺人』だと思った。
この事件をきっかけに、ネット上で様々な立場のかたが意見を発しだした。
その意見を拝見すると、尊厳死と安楽死の違いを解っていない、また緩和ケアについての正しい情報が広がっていない事を感じた。
なので、『安楽死』について、自分の頭の中を改めて整理するためにも、安楽死に関することについて、まずは、下記の4点について書かせていただくこととした。
3.緩和ケアって何?
4.まとめ
ただし、私は医療職ではないので、福祉職・一般人の視点で考えていきたいと思う。
日本では安楽死は認められていない。
だが、他国に目を向けると、安楽死はオランダやベルギーなどで認められている。
スイスでは、安楽死ではなく自殺幇助というかたちで認められている。
他国での安楽死や自殺幇助は、実際に行なわれるまでには、沢山のプロセスがあり、『治ることがない病気で、本人の苦痛が他の手段では取り除けない』など、数多くの条件をクリアして、面談やカウンセリングを何度も行なった上で、認められるかたちになっている。そのくらい厳しいものである。
しかし、今回の事件は、面識がない医師が、SNS上でやりとりがあったとはいえ、本人が安楽死を望んでいたとはいえ、はじめて会ったその場で薬で殺したわけだから、私のなかでは『安楽死』の処置とはとらえてはいけないと思っている。
実際に、過去にあった日本での安楽死による殺人事件とも、全く異なっている。
(※過去の日本の安楽死事件については、改めて書きたいと思っています。)
安楽死を考えるときには、『日本における終末期医療』についても知っておく必要があると私は思っている。
厚生労働省から『終末期医療についてのガイドライン』というものがでている。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/s0521-11.html。(厚生労働省HP)
日本での安楽死について論ずるならは、このガイドラインの事は知っていた方がいいと私は思っている。
なお、平成27年には『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』と改称されている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000079283.html。(厚生労働省HP)
そのはじめに、終末期医療及びのケアのあり方について書かれている。原文は下記の通りです。
《終末期医療及びケアの在り方》
① 医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づい
て患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたう
えで、終末期医療を進めることが最も重要な原則である。
② 終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為
の中止等は、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームによ
って、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきである。
③ 医療・ケアチームにより可能な限り疼痛やその他の不快な症状を十分に緩
和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療及びケアを
行うことが必要である。
④ 生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象としない。
( 補足:下線は筆者が引きました)
つまり、日本では、安楽死は認められていない。
だから、今回の事件は『殺人』となるわけです。
また、このガイドラインを実践するために、『緩和ケア』という医療も重要になってくると私が考えている。
安楽死の正否について話が出る際に、上記の『尊厳死』・『安楽死』・『自殺幇助』の違いがわからないまま自分の意見を述べているかたも多いので、それぞれどのようなものか、私なりに書かせていただいた。
○尊厳死
本人の意思に基づき、死期のただの伸ばすだけの延命治療は行なわず、自然の流れに任せて、死を受け入れて、亡くなっていくこと。
消極的安楽死ともいわれることもあるが、私はこの言葉にはとても違和感がある。
なお、この過程で、身体的苦痛や精神的苦痛を取り除くために、緩和ケアの治療を受ける方もいる。(詳細は④緩和ケア参照)
○自殺幇助
自殺幇助 (じさつほうじょ) とは、別の人、時には医師の助けを借りた自殺 。この用語は医師による自殺幇助(physician-assisted suicide, PAS)と互換的に用いられる。PASとは医師が「致命的な用量の薬物に関するカウンセリング、そのような致死的な用量の処方、または薬物の供給を含む、自殺に必要な知識または手段またはその両方を意図的に人に提供する」ことである 。(ウィキペディア(Wikipedia)『自殺幇助』より)
以前NHKで放送された『安楽死をとげた日本人』で、スイスで安楽死をした日本人女性が受けたものが、この自殺幇助である。
このときは、致死量の薬を医師が点滴にいれるが、最期にその点滴が身体に入るように管を開けるのは、本人の意思で自分の手で行なった。そして、致死量の薬が入った点滴が身体の中に入り、亡くなっていった。
うまくまとめる文章が出来なかったので、ウィキペディア(Wikipedia)から文章をお借りしたが、言葉をかえると『他者の手を借りて自殺をする』ということでもある。
もちろん、この方法は日本では認められていない。
○安楽死
致死性の薬物の服用または投与により、死に至らせる行為である。医療上の積極的安楽死の場合は患者本人の自発的意思に基づいて、自ら致死性の薬物を服用して死に至る行為、または、要求に応じて、患者本人の自発的意思(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)に基づいて、他人(一般的に医師)が患者の延命治療を止めることである。(ウィキペディア(Wikipedia)『安楽死』より)
また、ウィキペディア(Wikipedia)から文章をお借りした。
この説明については、私は次のように解釈している。
前者は、医師が致死量の薬を服薬や投与するという手段。
後者は、医師が一度つけた人工呼吸器や胃瘻などでの栄養摂取を止めることなど、行なっていた延命治療を途中で止めること。
もちろん、日本では安楽死は認められていないし、認められている国も、死期が近く、身体的・精神的苦痛を取り除く手段が他にないことなど、条件が厳しく決まっており、簡単に安楽死の選択はできない。
尊厳死を消極的安楽死という言葉で表すときには、安楽死を積極的安楽死とも言われることもあるが、この言い方も私は抵抗がある。
なぜなら、尊厳死は自分の死を自然の流れに任しているからであり、意図的に手段をもちいて命を縮めている訳ではないからである。
3.緩和ケアって何?
先程から何度か出てきた『緩和ケア』。
聴いたことがある方は多いと思うが、実際どのようなことかは、以外と知られていないようである。
緩和ケアについては、日本ホスピス緩和ケア協会のHPでは下記のように書いている。
(日本ホスピス緩和ケア協会のHP )https://www.hospat.org/public_what.html
①WHO(世界保健機構)は緩和ケアを次のように定義しています
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティー・オブ・ライフを改善するためのアプローチである。
②「日本ホスピス緩和ケア協会」は、ホスピス緩和ケアを提供するさまざまの医療機関を中心に組織されている法人ですが、緩和ケアについて次のように説明しています。
1)緩和ケアとは
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである。
2)緩和ケアは・・・
・ 痛みやその他の苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し、死を自然なことと認める
・ 死を早めたり、引き延ばしたりしない
・ 患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別後の生活に適応できるように支える
・ 患者と家族―死別後のカウンセリングを含む―のニーズを満たすためにチームアプローチを適用する
・ QOLを高めて、病気のかていに良い影響を与える
・延命を目指す其のほかの治療―化学療法、放射線療法―とも結びつく
・それによる苦痛な合併症をより良く理解し、管理する必要性を含んでいる
(『公益財団法人日本ホスピス緩和ケア協会』HPより転記)
緩和ケアは、終末期だけに行なう治療と思われがちだが、痛みや苦痛を取り除くために、積極的治療と並行して行なう場合もあるそうです。
また、患者本人の苦痛を取り除くだけでなく、本人の生活が最期までその人らしく過ごせるように支える事、また患者の家族を支える事も含まれている。
この緩和ケアは、一般的には『もう治療が出来ない人が受けるもの』として、マイナスなイメージがとても強い。
しかし、病気による身体的・精神的苦痛を取り除くことや和らげることで、最期までその人らしく人生を有意義に過ごすことが出来るので、大切なケアだと私は思っている。
私は、身内を何人か癌で亡くしている。
緩和ケアを受けられなかった人は、最期まで痛みに苦しみ続けていた。
しかし、緩和ケアを受けた人は、痛みを和らげ、死の恐怖に対して医師や看護師が時間をかけて傾聴していくことで、少しづつ自分の死を受け入れて、最期までその人らしく過ごした。
このような事からも、緩和ケアを受ける意味はとても大きいと私は考えている。
4.まとめ
安楽死の賛否については、このようなことを踏まえて、自身の主観や感情にまかせるのではなく、倫理と命の尊厳を踏まえて、考えていく必要があると思っている。
もちろん当事者の方達は、「今」が苦しいのだから、法制定を待っていることはできない。
かといって他国へ行って安楽死を選択するのは身体的にも精神的にも金銭的にもハードルが高すぎる。
当事者の想像できない苦しい状況は、当事者にしか解らない。
だから、当事者のその思いを否定するような言葉、生きることを励ますような言葉は、当事者を更に苦しめるだけある。
そのことも踏まえて発言する配慮も必要だと思う。
そして、安楽死が合法化されていないからこそ、痛みや苦しみを和やらげて生活の質を維持するという『緩和ケア』についての正しい理解がもっと広まって欲しいし、全ての進行性の完治しない病気が緩和ケアを受けることが出来るようになって欲しいとも願っている。
ここからは私の主観的な考えです。
日本では、人を生産性で価値を決めている。その視点からもLGBTや障害者に対する差別や偏見もある。
また、高齢者は延命治療などせずに先に逝くべきだというような発言を見聞きすることも少なくない。
このようなかたちで命の価値を決める風潮が強い日本では、意図を持って命を終わらせる『安楽死』の論議は、まだ危険だとは私は思っている。
また、自分自身の意見を責任を持って発言するということが、日本の国民は苦手で、周囲に流され、長いものに巻かれる国民性がまだ強く残っている。
そのような国民性の自分たちが、『死ぬ権利』と『生きる権利』の両方を周囲に惑わされず選択することが出来るだろうか?
身体的・精神的苦痛からの解放や、自分が自分であるうちに人生の閉じ方を選択する為に安楽死が選択のひとつになるべきである。
そして間違っても、周囲に迷惑をかけるからとか、遠回しに周囲から安楽死を勧めらて、安楽死を選ぶようなことは、絶対にあってはなってはならない。
そんなことは考えすぎだという人も多いが、人間はハードルをあげるのは難しいが、ハードルを下げることは簡単にできる。
だから、『安楽死が合法化』されたときには、絶対に悪用されないようにしなければならい。
今の日本では、安楽死の議論をするためには、上記のような解決しなければならないハードルが沢山あると私は考えている。
付記:主観で間違っていること書かないようにするために、下記のホームページより、転記させていただいたことを、改めて記載させていただきます。
《転記させてい頂いたHP》
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/s0521-11.html。(厚生労働省HP)
○厚生労働省『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000079283.html。(厚生労働省HP)
○ウィキペディア(Wikipedia)より『自殺幇助』『安楽死』
○日本ホスピス緩和ケア協会『緩和ケアについて』
https://www.hospat.org/public_what.html(公益財団法人日本ホスピス緩和ケア協会HP)
デイサービスの役割についての私の考え(コロナウイルスの感染防止の為にデイサービスを長期で休むことは、実はリスクもあるんです)
現在、コロナウイルスが蔓延して、全国の緊急事態宣言の発令が延期されました。
近日中に一部地域では緊急事態宣言の規制緩和とは言ってますが、この先どうなるのか不安な毎日です。
このようななかで、介護保険サービスの利用を自粛されている高齢者やご家族が多くなってきています。
私が担当しているかたも、デイサービスの利用を控えているかたが少なくありません。
この選択は、それぞれのご家庭が考えて判断することですから、それでいいと私は思っています。
ですが、『デイサービスを長く休むことはリスクもある』ということを、支援者は説明をしているのか?と個人的には心配もしています。
誤解をしないでいただきたいのですが、デイサービスを休むことを否定しているのではありません。家族を守るための選択として、正しい選択でもあります。
ですが、デイサービスを休むことでの『リスク』が、全くないわけではないのです。
その『リスク』もふまえておいていただきたいのです。
デイサービスは『家族が仕事をしている間に預ける場所』という役割だけではありません。
もちろん、『日中独りになる介護が必要な高齢者の安全確保』ということは、デイサービスの大きな役割のひとつです。
ですが、デイサービスには、他にも大切な役割が沢山あります。
デイサービス(通所介護)の主な役割(主なサービス内容)をあげてみると・・
① 他者との交流の機会の提供
② 低下した身体機能の向上
③ 運動の機会の提供
④ 栄養バランスがとれた食事の提供
⑤ 認知症の予防や認知症進行の抑制の為に、利用中の活動を通して様々な刺激を受ける場所
⑥ 日中安全に安心して過ごせる場所の提供
等があります。
その為、デイサービスを長い期間利用しないと、次のようなことが起きる心配があります。
① 身体機能の低下
全世代に言えることではありますが、外出の機会が少なくなると、身体を動かす機会も少なくなります。それは運動不足につながります。
介護保険サービスを利用している高齢者の場合、デイサービスに通うことが身体を動かす機会にもなっている方も多いと思います。
また、デイサービスで機能訓練を受けて、歩く力や全身の筋力の現状の維持をしたり、少しでも良くしようとしている方も多いと思います。
デイサービスをやすむと、これらができなくなるということでもあります。そうなりますと、身体を動かしたり機能訓練や体操をする機会もほとんどなくなる為、体力や筋力や歩く力が落ちることに繋がる可能性があります。
② 社会との繋がりの切断
高齢者は近所に友人がいない(または少ない)方もいます。そのような方にとって、デイサービスは「おしゃべりをする」場所でもあり、同世代の方との交流をする大切な場所でもあります。
デイサービスを休むことで、デイサービスで親しくなった方と話をする機会を持てなくなり、また家族以外の方との接点がなくなってしまう方もいます。
③ 認知機能の低下
デイサービスに通い、様々な方とおしゃべりをして、機能訓練や体操などで身体を動かし、レクリエーションなどでいろいろ考えて頭を使うことは、認知症予防や認知症の進行を遅らせることにもつながっています。
デイサービスを利用することで、身体や脳に刺激を受けていた方が、デイサービスを長い期間休むと、身体にも脳にも刺激をうけなくなり、物忘れが多くなったり、認知症が進行してしまう可能性もあります。
④ 上記のことが起こることによる、家族の介護負担の増加
もし、身体機能や物忘れや認知症の進行が進んでしまうと、ご家族の介護の負担が増えてしまうことにつながりかねません。
そのために、コロナウイルス感染の心配を抱えながら、でも、体力が落ちないように、また刺激を受けることで認知症の進行を予防するために、あえてデイサービスの利用を続けている方もいます。
デイサービスを『休む』
デイサービスを『通い続ける』
『どちらの選択も正しい』と私は思っています。
これは、それぞれのご本人の状況、また、ご本人やご家族の置かれている環境や価値観によって選択が違ってくると私は思います。
そのため、私はケアマネとして、デイサービスを休んでいる方やそのご家族には次のような提案をさせていただいております。
① 可能な範囲で身体を動かしたり、歩く機会を持つ
例)近所を散歩をするなど。
②認知機能低下を防ぐために、自宅でできる脳トレの提案
例)簡単な計算ドリルを使って計算をする
※足し算はできるけど、引き算ができない方もいます
国語のドリルなどで字を書く
脳トレの本の中で本人ができそうなものに取り組んでもらう。
※脳トレの内容は、簡単なものから難しいものまであるので、
本人がストレスにならないものを選ぶようにしていきます
ただし、戦前生まれのかたのなかには、戦後の混乱期に生活が苦しくて学校に通えず、基礎学力がつけらなかった方もいます。
ですから、簡単なドリルも文字を書くことも出来ない人がいますので、その点でも個々の学力や理解力の配慮は必要になります。
そして、私はケアマネとして、このようなときだからこそ、担当している高齢者の方(=ご本人)やそのご家族のご様子には気を付けていきたいと思っています。
例えば・・
①ご本人の変化(身体機能や認知機能の低下)に気を付ける。
② 介護保険サービス利用を控えていることで、ご家族が背負う介護負担によるストレスに気を付ける。
③ ご家族が担当ケアマネである私に相談しやすいように配慮する。
コロナウイルスの蔓延によって『通所介護(デイサービス)が担ってきた役割』というものを、改めて認識することになったというのは、正直複雑な心境でもあります。
そして、今日も、感染予防対策をとりながら高齢者の方を支援してくださっている、デイサービス、ヘルパーさん、訪問看護師さんなど、各サービス事業所のスタッフの方々に、改めて感謝です。
はじめまして。
はじめまして、たんぽぽと申します。
コロナウィルスが感染拡大し、4月7日に政府が緊急事態宣言を発令され、5月7日に更に延長されました。
店舗や施設など様々な分野へ国や都道府県が営業自粛要請をしたことで、今後の生活の見通しが立たなくなってしまった人たちが沢山います。
私が勤めている組織も、少なからず影響を受けています。
日本は、他諸国のような手厚い緊急保護政策がないので、生活困窮に陥る人が沢山出るでしょう。
ネットカフェで生活をしていた人たちは、行き場をなくしていいます。
日本国憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
今迄だって、この条文が守られていたとは思えない。
そのうえに、更に拍車をかけるように、今回のコロナウィルスの蔓延で、庶民の生活が足元から崩れようとしている。
私も自分自身のこれからの生活がどうなるかわからない状況です。
その上で、私達福祉専門職は、支援をしている方の生活を、そして命を守らなければならなりません。
いつコロナウィルスに感染してもおかしくない街のなかを、ようやく手に入れたマスクと手の消毒液だけを頼りに、自転車で動きまわる日々。
日々の日常は決して当たり前のことではありません。
『平凡な日常は、当たり前のことではない』
そんなことは、わかっていたつもりでした。
でも、今回のコロナウィルスの感染拡大で、今までの日常の生活は『決して当たり前のことではない』ことを、改めて突き付けられたような気がします。
福祉分野の片隅で生きてきた私が、『ささやかなこと』かもしれないけれど、これからできることは何だろうか?
そう思いながら、このブログを作りました。
おつきあい頂けましたら幸いです。