こんにちは、たんぽぽです。
連休中に衝撃な事件のニュースが飛び込んできました。
その事件の報道をみて、ネット上での発言などをみて、私が思ったことを、何回かに分けて、書いていきたいと考えています。
事件のニュースは一時的に注目を集めます。この事件ももしかしたら、世間はすぐに忘れ去られてしまうかもしれません。ですが、今回の事件は色々なことを考えさせられましたので、世間がこの事件に対して、トーンダウンしたとしても、私は書いていきたいと思います。
《『安楽死とは何か』を改めて考える》
先日、難病ASLの女性がSNS上で知り合った医師に安楽死を依頼して、本人宅で医師が女性を殺したという事件を知り、詳細を知るに至って、私はこれは『殺人』だと思った。
この事件をきっかけに、ネット上で様々な立場のかたが意見を発しだした。
その意見を拝見すると、尊厳死と安楽死の違いを解っていない、また緩和ケアについての正しい情報が広がっていない事を感じた。
なので、『安楽死』について、自分の頭の中を改めて整理するためにも、安楽死に関することについて、まずは、下記の4点について書かせていただくこととした。
3.緩和ケアって何?
4.まとめ
ただし、私は医療職ではないので、福祉職・一般人の視点で考えていきたいと思う。
日本では安楽死は認められていない。
だが、他国に目を向けると、安楽死はオランダやベルギーなどで認められている。
スイスでは、安楽死ではなく自殺幇助というかたちで認められている。
他国での安楽死や自殺幇助は、実際に行なわれるまでには、沢山のプロセスがあり、『治ることがない病気で、本人の苦痛が他の手段では取り除けない』など、数多くの条件をクリアして、面談やカウンセリングを何度も行なった上で、認められるかたちになっている。そのくらい厳しいものである。
しかし、今回の事件は、面識がない医師が、SNS上でやりとりがあったとはいえ、本人が安楽死を望んでいたとはいえ、はじめて会ったその場で薬で殺したわけだから、私のなかでは『安楽死』の処置とはとらえてはいけないと思っている。
実際に、過去にあった日本での安楽死による殺人事件とも、全く異なっている。
(※過去の日本の安楽死事件については、改めて書きたいと思っています。)
安楽死を考えるときには、『日本における終末期医療』についても知っておく必要があると私は思っている。
厚生労働省から『終末期医療についてのガイドライン』というものがでている。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/s0521-11.html。(厚生労働省HP)
日本での安楽死について論ずるならは、このガイドラインの事は知っていた方がいいと私は思っている。
なお、平成27年には『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』と改称されている。
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000079283.html。(厚生労働省HP)
そのはじめに、終末期医療及びのケアのあり方について書かれている。原文は下記の通りです。
《終末期医療及びケアの在り方》
① 医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされ、それに基づい
て患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたう
えで、終末期医療を進めることが最も重要な原則である。
② 終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為
の中止等は、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームによ
って、医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断すべきである。
③ 医療・ケアチームにより可能な限り疼痛やその他の不快な症状を十分に緩
和し、患者・家族の精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療及びケアを
行うことが必要である。
④ 生命を短縮させる意図をもつ積極的安楽死は、本ガイドラインでは対象としない。
( 補足:下線は筆者が引きました)
つまり、日本では、安楽死は認められていない。
だから、今回の事件は『殺人』となるわけです。
また、このガイドラインを実践するために、『緩和ケア』という医療も重要になってくると私が考えている。
安楽死の正否について話が出る際に、上記の『尊厳死』・『安楽死』・『自殺幇助』の違いがわからないまま自分の意見を述べているかたも多いので、それぞれどのようなものか、私なりに書かせていただいた。
○尊厳死
本人の意思に基づき、死期のただの伸ばすだけの延命治療は行なわず、自然の流れに任せて、死を受け入れて、亡くなっていくこと。
消極的安楽死ともいわれることもあるが、私はこの言葉にはとても違和感がある。
なお、この過程で、身体的苦痛や精神的苦痛を取り除くために、緩和ケアの治療を受ける方もいる。(詳細は④緩和ケア参照)
○自殺幇助
自殺幇助 (じさつほうじょ) とは、別の人、時には医師の助けを借りた自殺 。この用語は医師による自殺幇助(physician-assisted suicide, PAS)と互換的に用いられる。PASとは医師が「致命的な用量の薬物に関するカウンセリング、そのような致死的な用量の処方、または薬物の供給を含む、自殺に必要な知識または手段またはその両方を意図的に人に提供する」ことである 。(ウィキペディア(Wikipedia)『自殺幇助』より)
以前NHKで放送された『安楽死をとげた日本人』で、スイスで安楽死をした日本人女性が受けたものが、この自殺幇助である。
このときは、致死量の薬を医師が点滴にいれるが、最期にその点滴が身体に入るように管を開けるのは、本人の意思で自分の手で行なった。そして、致死量の薬が入った点滴が身体の中に入り、亡くなっていった。
うまくまとめる文章が出来なかったので、ウィキペディア(Wikipedia)から文章をお借りしたが、言葉をかえると『他者の手を借りて自殺をする』ということでもある。
もちろん、この方法は日本では認められていない。
○安楽死
致死性の薬物の服用または投与により、死に至らせる行為である。医療上の積極的安楽死の場合は患者本人の自発的意思に基づいて、自ら致死性の薬物を服用して死に至る行為、または、要求に応じて、患者本人の自発的意思(意思表示能力を喪失する以前の自筆署名文書による事前意思表示も含む)に基づいて、他人(一般的に医師)が患者の延命治療を止めることである。(ウィキペディア(Wikipedia)『安楽死』より)
また、ウィキペディア(Wikipedia)から文章をお借りした。
この説明については、私は次のように解釈している。
前者は、医師が致死量の薬を服薬や投与するという手段。
後者は、医師が一度つけた人工呼吸器や胃瘻などでの栄養摂取を止めることなど、行なっていた延命治療を途中で止めること。
もちろん、日本では安楽死は認められていないし、認められている国も、死期が近く、身体的・精神的苦痛を取り除く手段が他にないことなど、条件が厳しく決まっており、簡単に安楽死の選択はできない。
尊厳死を消極的安楽死という言葉で表すときには、安楽死を積極的安楽死とも言われることもあるが、この言い方も私は抵抗がある。
なぜなら、尊厳死は自分の死を自然の流れに任しているからであり、意図的に手段をもちいて命を縮めている訳ではないからである。
3.緩和ケアって何?
先程から何度か出てきた『緩和ケア』。
聴いたことがある方は多いと思うが、実際どのようなことかは、以外と知られていないようである。
緩和ケアについては、日本ホスピス緩和ケア協会のHPでは下記のように書いている。
(日本ホスピス緩和ケア協会のHP )https://www.hospat.org/public_what.html
①WHO(世界保健機構)は緩和ケアを次のように定義しています
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関してきちんとした評価をおこない、それが障害とならないように予防したり対処したりすることで、クオリティー・オブ・ライフを改善するためのアプローチである。
②「日本ホスピス緩和ケア協会」は、ホスピス緩和ケアを提供するさまざまの医療機関を中心に組織されている法人ですが、緩和ケアについて次のように説明しています。
1)緩和ケアとは
緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面する患者と其の家族に対して、痛みや其の他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメント対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることで、クオリティ・オブ・ライフを改善するアプローチである。
2)緩和ケアは・・・
・ 痛みやその他の苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し、死を自然なことと認める
・ 死を早めたり、引き延ばしたりしない
・ 患者のためにケアの心理的、霊的側面を統合する
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別後の生活に適応できるように支える
・ 患者と家族―死別後のカウンセリングを含む―のニーズを満たすためにチームアプローチを適用する
・ QOLを高めて、病気のかていに良い影響を与える
・延命を目指す其のほかの治療―化学療法、放射線療法―とも結びつく
・それによる苦痛な合併症をより良く理解し、管理する必要性を含んでいる
(『公益財団法人日本ホスピス緩和ケア協会』HPより転記)
緩和ケアは、終末期だけに行なう治療と思われがちだが、痛みや苦痛を取り除くために、積極的治療と並行して行なう場合もあるそうです。
また、患者本人の苦痛を取り除くだけでなく、本人の生活が最期までその人らしく過ごせるように支える事、また患者の家族を支える事も含まれている。
この緩和ケアは、一般的には『もう治療が出来ない人が受けるもの』として、マイナスなイメージがとても強い。
しかし、病気による身体的・精神的苦痛を取り除くことや和らげることで、最期までその人らしく人生を有意義に過ごすことが出来るので、大切なケアだと私は思っている。
私は、身内を何人か癌で亡くしている。
緩和ケアを受けられなかった人は、最期まで痛みに苦しみ続けていた。
しかし、緩和ケアを受けた人は、痛みを和らげ、死の恐怖に対して医師や看護師が時間をかけて傾聴していくことで、少しづつ自分の死を受け入れて、最期までその人らしく過ごした。
このような事からも、緩和ケアを受ける意味はとても大きいと私は考えている。
4.まとめ
安楽死の賛否については、このようなことを踏まえて、自身の主観や感情にまかせるのではなく、倫理と命の尊厳を踏まえて、考えていく必要があると思っている。
もちろん当事者の方達は、「今」が苦しいのだから、法制定を待っていることはできない。
かといって他国へ行って安楽死を選択するのは身体的にも精神的にも金銭的にもハードルが高すぎる。
当事者の想像できない苦しい状況は、当事者にしか解らない。
だから、当事者のその思いを否定するような言葉、生きることを励ますような言葉は、当事者を更に苦しめるだけある。
そのことも踏まえて発言する配慮も必要だと思う。
そして、安楽死が合法化されていないからこそ、痛みや苦しみを和やらげて生活の質を維持するという『緩和ケア』についての正しい理解がもっと広まって欲しいし、全ての進行性の完治しない病気が緩和ケアを受けることが出来るようになって欲しいとも願っている。
ここからは私の主観的な考えです。
日本では、人を生産性で価値を決めている。その視点からもLGBTや障害者に対する差別や偏見もある。
また、高齢者は延命治療などせずに先に逝くべきだというような発言を見聞きすることも少なくない。
このようなかたちで命の価値を決める風潮が強い日本では、意図を持って命を終わらせる『安楽死』の論議は、まだ危険だとは私は思っている。
また、自分自身の意見を責任を持って発言するということが、日本の国民は苦手で、周囲に流され、長いものに巻かれる国民性がまだ強く残っている。
そのような国民性の自分たちが、『死ぬ権利』と『生きる権利』の両方を周囲に惑わされず選択することが出来るだろうか?
身体的・精神的苦痛からの解放や、自分が自分であるうちに人生の閉じ方を選択する為に安楽死が選択のひとつになるべきである。
そして間違っても、周囲に迷惑をかけるからとか、遠回しに周囲から安楽死を勧めらて、安楽死を選ぶようなことは、絶対にあってはなってはならない。
そんなことは考えすぎだという人も多いが、人間はハードルをあげるのは難しいが、ハードルを下げることは簡単にできる。
だから、『安楽死が合法化』されたときには、絶対に悪用されないようにしなければならい。
今の日本では、安楽死の議論をするためには、上記のような解決しなければならないハードルが沢山あると私は考えている。
付記:主観で間違っていること書かないようにするために、下記のホームページより、転記させていただいたことを、改めて記載させていただきます。
《転記させてい頂いたHP》
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/s0521-11.html。(厚生労働省HP)
○厚生労働省『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000079283.html。(厚生労働省HP)
○ウィキペディア(Wikipedia)より『自殺幇助』『安楽死』
○日本ホスピス緩和ケア協会『緩和ケアについて』
https://www.hospat.org/public_what.html(公益財団法人日本ホスピス緩和ケア協会HP)